ADHDへの理解と対応

判断基準を育てる

■…変えたい気分での判断(上)

■…変えたい気分での判断(中)

■…変えたい気分での判断(下)

 


■…変えたい気分での判断(上)

自閉症の子どもたちは、判断基準を、自分の外に求める傾向があります。こういう表現だとわかりにくいでしょうから、実例をあげて説明します。

強い再現欲求

 「毎日ブロック遊びをします。ただいつも同じ物をつくります。大人が違う物をつくるように言うと怒ります。どうして怒るのでしょうか」と、ある学童クラブの先生から質問されました。この子は、心障学級に通う小学校3年生の自閉的な男の子です。
  同じ物をつくるのは、再現したいという気持ちが強いから起こると思われます。このことは、決まった場所に決まった物がないと気がすまない、同じ手順で進めないとパニックになるなどと、基本的には同じことだと思います。
 ある子は、お手本の文字のように書けないことでパニックを起こします。これも、見た字と同じ字を再現したいという欲求から起こるのでしょう。このように、自閉的な子は、自分の外側にある何かに基準を置きます。その基準をもとにして判断し、行動します。自分の内側で「今日は上手くできないな」とか、「新しい物をつくってみよう」などと、あれこれ考えることが苦手と言えます。
 さて、ブロック遊びの子に対してですが、再現欲求を利用します。子どもがつくっている最中に、「あーしろ、こうしろ」と言うのはうるさいので、あらかじめ見本をつくっておき、真似させます。あるいは見本を写真にし、それを見ながら組み立てさせるという方法もあります。なお、プラモデルが好きになる子がいます。設計図を見ながら決められた形に組み立てるのは、再現遊びのひとつとも言えます。「無い無い」と騒ぐかもしれませんが、つくりたい物に必要な部品を、一部隠してしまう方法もあります。物理的にできなくして、違う物をつくらざるをえないようにします。こうやって、再現にしがみつくのではなく、柔軟に遊べるようにしたいものです。

時間や数など、
変わらない基準で判断


 自分の外に判断を求める傾向は、時間や数字へのこだわりとなって現れることもあります。6歳のある子は、6時半に夕食を食べる、9時20分に寝ると決めています。この時間が守られないとパニックとなります。
 小学校3年生の女の子は、ある日、自分の家に小学1年生という雑誌がとってあることに気づきました。それをどうしても捨てたいと思い、お母さんと一悶着となりました。きっと彼女は、自分は小学校3年生なのに、1年生という名前の雑誌があるのが耐えられなかったのでしょう。これもまた数字が、判断の際の重要な基準になるから起こります。
 ある青年は、中学生の時に先生と家で運動することを約束しました。その運動を、もうすぐ30歳というのにやり続けています。回数という、彼にとってわかりやすい基準があったから、長年続いているのでしょう。  さて、夕食などの時間が決まっている子は、時間を意識的にずらす必要があります。家にあるいくつかの時計の時間を微妙に進ませたり、遅らせたりして同じにしないようにします。これでも難しいならば、「6時から7時の間でご飯を食べる」といった、数字をいれた新たな基準を示します。これで納得する可能性があります。
 3年生の女の子も同じように、「3年生は、小学1年生の雑誌があっても騒がない」という定義づけが有効かもしれません。「人には〈思い出〉がある。1年生の本は思い出のひとつ」と、小学校1年生の頃の写真を見せながら話すと、わかってくれるかもしれません。〈思い出〉のような、実体としては存在しないけれども、いろいろな出来事などをくくってくれることばを知らない子がいます。マジックボックスのようなことばを学ぶことで、スムーズに納得ができ、気持ちが落ち着くことがあります。
 回数を守る青年は、病気の時にも運動しようとするのが問題でした。「37度以上の熱がある時は運動しない」という約束とともに、回数を減らして、身体に過剰な負担がかからないようしてもらいました。
 時間や回数など、数に依拠して行動するのは、大人でも同じです。このことはある面で適応的とも言えます。ただ、時間や回数などへのこだわりが強くなりすぎると、変化に富む毎日の生活に柔軟に対応できなくなります。自閉症の子や青年では、時に激しいパニックにつながったりします。だから外的基準ではなく、その場その場の条件や事情に合わせられるようになってほしいと思います。

一般的知識や道徳に、
判断を依拠

 時間や回数など、数字に判断を委ねる子が成長して、中には一般的知識や道徳に判断基準を求め出す子がいます。以前に、「人生、楽ありゃ苦もあるさ」という、水戸黄門の主題歌が好きな自閉症の青年が多いと感じたことがあります。こういう人生訓には、生きる際の知恵が含まれます。こういう知恵を手がかりに、人生を理解しようとする青年たちがいます。
 ある青年は、毎朝お腹の調子がおかしくなります。話を聞くと、朝仕事に通う道の途中で、小学生からからかわれているとのことでした。それが嫌で、お腹がおかしくなっていました。
 彼は「小さい子はいじめてはいけません」という道徳にしばられていました。そこで「悪い子なんだから、『やめろ』と大声で叱っていいよ」と話しました。そのとおりにしたら、子どもたちのからかいはなくなり、お腹の調子も元に戻りました。

外部基準ではなく、
気分で判断する子


 一方でAD/HDの子は、時間や回数、一般的な知識や道徳ではなく、自分の気分で判断し行動する傾向があります。感情のおもむくままに、気ままに物事を決めて行動しがちです。確定的な、明確な基準ではなく、気分で動いています。まわりの人間は、気分で動いていることがわかりにくく、考えの筋が読めずに振り回されてしまいます。
 自閉的でなおかつ、AD/HDの傾向を持つ子も気分で判断する点で似ています。次回では、こういう子に対する時の考え方と対応法を紹介します。

 

■月刊 発達教育より 湯汲 英史(発達協会王子クリニック)言語聴覚士
小倉 尚子(発達協会王子クリニック)言語聴覚士


■…変えたい気分での判断(中)
何でも自由に話すこと、やることを賞賛するのが「今」の教育とも言われています。
しかしAD/HDの子は、あれやこれやと考えるのが苦手です。枠組みがはっきりしないままの関わりより、物事のよしあしを明確にした取り組みが子どもの判断基準をはぐくんでいきます。

 前回、自閉症の子どもや人たちは判断する際の基準を自分の外に求めがちと述べました。
 ある自閉的な小学4年生の子と話していたら、同級生から「いじめられた」と言います。さらに聞いていくと、相手と話していたら「バカジャン」と言われたとのことでした。彼は、「バカということばは使ってはいけない」と思っています。彼は、自分なりに正しいと思う、価値基準で物事を判断します。それをもとに、同級生を悪者視し、いじめられたととらえました。
 どうして「バカジャン」と言われたのか、その理由には目が向きません。自分のほうに落ち度があった可能性もあります。しかしあくまで、耳に聞こえたことばだけで、正邪を決めてしまいます。
 こういう例はいくつもあげることができます。ある小学校2年生の子は、「授業中はふざけてはいけない」と思っています。彼は、授業中に他の子たちがふざけるのが許せません。その気持ちがきわまり、不登校になってしまいました。クリニックで初めて会った時の彼は、苦悩に満ちた表情をしていました。不条理に満ちた世の中、もう少しいい加減にと思いますが、自閉的な彼はなかなかそれができません。

脱自己中心化と仲間との関わり
 二人の考え方は、自己中心的な思考であり、ある面で幼いとも言えます。こういうものの見方は、健常の子どもたちにも見られます。ただ自己中心的な考え方は、親ばかりではなく、仲間や年上の子どもにからかわれたり、非難されてしまいます。その中で、自分の考え方を修正していくのでしょう。そうやって、小学校低学年くらいから、他者の視点を取り込んでいきます。
 例にあげた二人には、信じている価値基準があります。その基準を揺さぶらないと、一方的な「お説教」をしても理解されません。4年生の彼には、話の前後をたずねたものの要領を得ず、「バカジャンはいけないことばだけれども、友だち同士では使ってもいいこと」「言われたくない時には、『言わないでほしい』と言っていいこと」を話しました。
 2年生の子には「ふざけるのを許すかどうかは、先生が決めること。君が決めることではないこと」「うるさい時は『静かにして』と言うこと。ただし、相手が言うことを聞かないこともある」と伝えました。
 これらのことは、本来ならばその場その場で、仲間などとの関わりの中で学ぶことです。クリニックという場所では限界がありますが、グループ指導の際に、「他者視点を知る」「誤解を解く」ことを目標に関わっています。

本当は楽かも、他者基準に従う暮らし
 誰かが決めた基準にのっとり暮らす、これはある面で楽なことでもあります。イスラム教では、食ばかりでなく、日々の暮らしの中にさまざまな戒律があると言います。窮屈かもしれませんが、戒律に従って生きていけばよく、ある面であれやこれやと思い悩む必要がないとも言えます。ヒンズー教を国教とするネパールでは、カースト制のもと、何百年も前から代々同じ仕事をしている階層の人たちがいると聞きました。事のよしあしは別にして、こういう社会では、就職や進路について悩みようがありません。

昔はAD/HDはいなかった?
 話はとびますが、たとえば10年前の小中学校にAD/HDはいたのか?という根強い疑問があります。少なくとも自分たちの体験からですが、2、30年前の教室にはいなかったと記憶しています。
 バークレー博士は、AD/HDの原因仮説のひとつに「ワーキングメモリー」の問題をあげています。これを平たく言えば、「過去体験や知識などの記憶をもとに、頭の中にあれやこれや思い浮かべながら、今から取るべき行動の中で最も適切なものを選択、判断する力」に問題があるということです。
 これがうまく働かないと、
*何度注意されても同じことをする(過去体験が生かされない)
*わかってはいても、やれない(知識などを活用できない)
*本人には損と思うことを平気でやる
*いつも衝動的である(あれやこれやと考えながら、損得などを比較検討した判断ができない)

といった行動になると言います。
 昔の教室では先生と子どもの関係がはっきりとしていました。その関係性の中で取るべき、自分の言動のよしあしが明確でした。物事の善悪の基準もはっきりとしていました。今思えば、画一的ではあったかも知れないものの、子どもにとっては取るべき言動の枠組みがはっきりとした世界でした。

枠組みがはっきりしない状況が苦手
 一方で、自分の思うことを、何でも自由に話すこと、やることを賞賛するのが今の教育と言えます。しかしAD/HDの子は、あれやこれやと考えるのが苦手です。「どんな絵を描いてもいい」と言われるよりも「電車か、山かどっちかを描いて」と言われるほうがスムーズに取り組めます。「運動会の絵」よりも、「かけっこか、綱引きの絵」と話したほうがわかりやすいのは確かです。漠然とした、あいまいなものの中から、幾つかの事柄を選び出し、その事柄についていろいろと考えて、絵などのテーマを選ぶのが苦手と言えます。
 よく、好きなことしかしないとも聞きます。これもまた、さまざまなことに挑戦するのが苦手で、子ども自身が「好き」と言ったりもしますが、決まったことしかやれないのが真実なのかもしれません。

よしあしの枠組みを明確にする取り組み
 自由気ままが行き過ぎると、いつでも、どこでも、誰彼かまわずに、話してもいい、やってもよいという無法状態へとつながります。枠組みのない、「タガがはずれた」状態とも言えます。最近は、園や学校でAD/HDへの取り組みが行なわれるようになりました。その取り組みは、取るべき言動を、子ども自身にわかりやすく明確にするといった枠組みづくりが中心となっています。

●『ADHDのすべて』R・A・バークレー著 ヴォイス 2000年刊

■月刊 発達教育より 湯汲 英史(発達協会王子クリニック)言語聴覚士
小倉 尚子(発達協会王子クリニック)言語聴覚士

 


■…変えたい気分での判断(下)
 

感情のおもむくままに行動するのは、いきすぎると不利にもつながります。ところがAD/HDの場合は、自分の感情が優先されます。まわりのことなど関係なしに、泣いたり騒いだりする姿が見られます。不利だとか、恥ずかしいということよりも、まずは自分の気持ちが優先されがちです。そんなAD/HDの子どもたちに感情のコントロール力をつけていくためにはどうすればよいのか、例をあげてご紹介します。

 前々号(「変えたい気分での判断(上)」)で、AD/HDの子は、感情のおもむくまま、気ままに物事を決めて行動すると述べました。感情は移り変わり、嬉しいことにはこころが浮き立ち、悲しい場面では悲しくなります。ところが、どのような場面を前にしても気持ちが動かず、いつも悲しいという状態があります。「うつ」状態です。反対に、出来事に関係なく楽しく見える「そう」状態もあります。「うつ」や「そう」の病的な状態から、感情はその場その場に合わせ変化できてこそ正常であることがわかります。
 ただ、感情のおもむくままに行動するのは、いきすぎると不利にもつながります。自分よりも強い相手を前にすれば、怒りを感じていてもそれを抑制するのが普通です。本当は悲しくても、ひとりだけ泣くのは恥ずかしいという気持ちが働いて、涙を抑えようと考えます。
 ところがAD/HDの場合は、自分の感情が優先されます。反抗挑戦的とも言われますが、相手がどんなに強くても自分の意見を通そうとします。まわりのことなど関係なしに、「感情失禁」状態で泣いたり騒いだりする姿が見られます。不利だとか、恥ずかしいということよりも、まずは自分の気持ちが優先されがちです。

理由がコロコロと変わる
 小学2年生でAD/HDのSくんが、運動会で大騒ぎをしました。入場する時に「他の子がぶつかった、いじわるされたから」出たくないと言います。先生がわざとではないと説明すると今度は、「音がうるさいから」出ないと理由が変わります。他の先生がうるさくないよ、平気、平気と言うと「お腹がすいたから」とまたまた変更します。お母さんがたずねると、「お父さん来ないから」出ないとの答えです。お母さんは結局、参加できそうにないので、一緒に家に帰りました。ところがしばらくすると、運動会に行くとのこと。学校に戻ったころには気分も変わり、その後は運動会に最後まで参加できました。
 理由がコロコロと変わるのは、理由そのものには大した意味がないからでしょう。思いつきのように次々と口から出る理由は、運動会に出たくないという感情を、正当化するためだけのものと言えます。Sくんのような姿はAD/HDの場合、いうまでもなく珍しいことではありません。
 他の子たちは、理由をコロコロと変えたりはしません。まわりから信用されなくなることを知っているからでしょう。ところがAD/HDの子の多くはそうではありません。大げさな感情表現ばかりでなく、この理由が変わることでもまわりは振り回されてしまいます。

感情のコントロールこそ最重要課題
 AD/HDの子や人たちは、自分の感情やモチベーションを一定に保つことが難しいとされています。この感情のコントロール訓練ですが、「気づかせ」「言語化」「具体化」の三つが大切とされています。
 「気づかせ」とは、本人が示す、そのときの感情を取り上げることです。「言語化」は、気づかせた感情をことばで表すことです。そして「具体化」で、自分の感情の適切な表し方を教え、あわせて本人の自覚をうながします。
 たとえばSくんです。入場の際に他の子とトラブルがありました。ここでSくんへの、感情コントロール訓練の一例を示します。

 「ほら、いま」(気づかせ)  

 「Sくん、怒っているよね」(言語化)

 「そう、友だちがぶつかったの。だから怒っているのか。でも怒っていいのかな。相手はわざとじゃないって言っているよ」

 「怒るのと、許すのと、どっちがいいかな?」

 「許すんだね、そっちがいいよね」(具体化)



…ここでの重要なポイントは、理由の是非よりも、Sくんが自分で感情のコントロールができるのを重視することです。働きかけの目的は、安定的な感情へと導くことです。大人が理由の是非にとらわれると、先ほども述べましたが、子どもに振り回されてしまいます。

意識させたい時間や回数
 気分で動くAD/HDの子は、時間や回数などをなかなか守りません。たとえば、6時半から夕食の時間と決まっていても、それがなかなか守れません。漢字の宿題で、いくつかの漢字を20個ずつ書くという宿題がでてもやらなかったりします。
 以前にも述べましたが、AD/HDの子は、物事の優先順位がわからないところがあります。たとえばテレビがついていたり、マンガを読んでいたりすると、夕食時間とどちらを優先すべきかがわからなかったりします。6時半になる前に、テレビやマンガはなしにします。そうして、ご飯を食べることしかやることがないようにするのも一手です。
 あるAD/HDの子に、いくつかの漢字を20ずつ書くという宿題に取り組ませました。なかなかやろうとせず、ついには「何で20個も、同じ字を書かなくてはいけないのか」と言ってきました。それに対して、「10個よりも、20個のほうが字がうまく書けるようになるから」と話しました。すると、「ぼくは一番目に書いた字が一番うまくて、十番目からは自分でも読めなくなる」と言います。字を見ると確かにそうでした。それ以降は「うまく」ではなく、「しっかりと忘れないように」いくつも書くと話すようにしています。
 大人が、「まぁいいか」とその時々の気分で妥協していると、回数を守らせることや宿題への取り組みはますます難問となります。

教えたい一般的な知識や道徳
 たとえば乱暴があります。大騒ぎがあります。子どものこういう姿を目の前にした時に「どうして理解できないのか」と悩みます。しかし、悩むよりも「ちゃんと教えたか」と考えた方がよいように思います。それほどに、当り前のことを知らない子が目につくからです。ある子は、自分勝手な行動を注意された時に、「好きだからやる、嫌いなことはしない」と言いました。順番を守らない子が、「一番がいい」と話すのを聞いたこともあります。自分の好き嫌いに関係なく、やるべきことがあることがわかりません。順番を守らないと、みんなと楽しく遊べないことが了解できません。落ち着いている時に、道徳など良し悪しを教えるとともに、自分が取るべき言動を丁寧に伝えておく必要がありそうです。

 

■月刊 発達教育より 湯汲 英史(発達協会王子クリニック)言語聴覚士
小倉 尚子(発達協会王子クリニック)言語聴覚士

 

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